


秋といえば、『食欲の秋』『読書の秋』『スポーツの秋』といいますが、秋は月がキレイに見える季節でもあります。
中でも「十五夜」は特に月が美しく見えるといわれています。
今年の十五夜は10月1日でした。今年もお月見をしながら、みたらし団子を食べました。
十五夜=お月見団子というように十五夜にはお月見団子が欠かせませんが、なぜお団子を供えるのか気になったので十五夜について調べてみました。
◇十五夜とは
十五夜といえば、秋の夜、きれいな満月が見える日を思い浮かべる方が多いと思います。
十五夜とは、旧暦8月15日の夜のことを指しますが、毎年必ずしも15日であり満月とは限りません。それは月が必ずしも15日かけて新月から満月になるわけではないからです。
新月から満月になる日数は時期によって大幅に変わります。新月から満月に移行する日数が正確には14.5日要するためです。そのため14日で満月になる月もあれば、16日で満月になる月もあるのです。
◇十五夜の由来
日本では昔から月を神聖視してきました。その歴史はとても古く、「十五夜」ではないものの縄文時代にはすでに月を愛でる文化があったと言われています。
「十五夜」に月見をするようになったのは平安時代と言われています。860年頃に中国から伝わり、貴族の間で「十五夜」が親しまれるようになりました。当時は月を見ながら酒を酌み交わし、船に乗って詩歌や管弦を楽しむという風流な催しだったそうです。
この頃の「十五夜」は、現在の空を見上げて月を眺めるのではなく、水面や盃に映った月を貴族たちは愛でていたそうです。
「十五夜」が庶民の間に広まったのは、江戸時代になってからです。庶民が楽しんだ「十五夜」は貴族のように月を愛でる催しではありませんでした。
「十五夜」の時期は田んぼの稲穂も育ち収穫をする頃。そのため「十五夜」は月を眺めるというよりも、無事に収穫できたことへの喜びを分かち合い感謝する日という意味合いが大きかったと言われています。
◇十五夜にすることとお供え物の意味
「十五夜」はお供え物をしてお月見をする日です。お月見では「農作物を収穫できたことへの感謝」と、月の満ち欠けから連想された「命を繋いでくれた祖霊への感謝」や祈りを捧げます。
また地方によって違いはあるものの、「十五夜」のお月見では飾り物とお供え物をします。飾り物は「ススキ」、お供え物は「お月見団子」「農作物」を用意します。
〇ススキを飾る
ススキは秋の七草の1つです。このススキは、作物や子孫の繁栄を見守るとされる月の神様の『依り代』と考えられています。本来は稲穂をお供えすべきとされていましたが、この時期の稲穂はまだ稲刈りの前。そのため白い尾花が稲穂によく似ていたススキが飾られるようになりました。
またススキの切り口が鋭いため魔除けになるともいわれ、軒先にススキを吊るす習慣も生まれました。
〇お月見団子を供える
お月見団子は丸い団子を月に見立て、収穫への感謝の気持ちを表すためにお供えします。またその団子を食べることにより、幸せと健康が得られるという言い伝えもあります。
十五にちなんで、一寸五分(約4.5㎝)の大きさの団子を作ると縁起が良いとされていました。ただし、丸とはいえピンポン玉のような真ん丸は死者の枕元に供える『枕だんご』に通じるので、ほんの少しつぶすと良いといわれています。
「十五夜」にちなんで、お月見団子15個をピラミッドのように積んでお供えする習わしがあります。これは一番上の団子が霊界との懸け橋になると考えられていたからです。
〇農作物を供える
里芋や栗など収穫されたばかりの農作物をお供えすることにより、農作を感謝していたと慣れています。農作物の中でも一般的なのが里芋であり、「中秋の名月」は別名「芋名月」とも呼ばれていたそうです。
また農作物に加え、ブドウなどのツル性のものをお供えすると月とのつながりがより強くなると言われています。
◇風習
お月見以外にも地域によって独特な風習があります。最も多いのが『お月見どろぼう』です。
このお月見どろぼうとは、「お月見の時だけはお供え物を勝手に取ってもよい」というものです。
長崎県の一部では「まんだかな」と言いながら、子供がお供え物を勝手に取っていきます。また秋田県のある地域では「片足御免」と言い、他人の家に片足を踏み込んでお供え物を取っても許されるそうです。
どちらも「お月様が供え物を食べた」と捉え、喜ばしいことだとされています。
今回調べてみて解ったことは、十五夜という行事は平安時代から続く行事であり、江戸時代で意味合いを変えつつも現代まで伝わってきた行事であるということを知りました。
来年はこのことを思い出しながら、お月見の際は一年間の感謝をしたいと思います。
外来クリニック 新井